愛憎離婚日記

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help RSS C 元夫と再入籍〜再離婚へ・2004年・12月〜

<<   作成日時 : 2006/01/30 00:59   >>

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こんな経緯もあって、離婚届を提出してから、実に一ヵ月後の、
2004年(H16)12月16日(木)には再び婚姻届を提出する。
これには誰にも言ってない事情があって、また後日、載せたいと思ってます。

後になってフラワー家族から聞いた話では、この再入籍に至るまでの元夫の謙虚な行動は、
「毎晩、自分が弱ってる風に見せて、”どうする?どうする?早く復縁するか否かを決めて!”」と
毎晩遅くまで攻め立ててるだー! これは意図的な行動だと元夫はフラワー家族に話していたそうだ。

次の日の2004年12月17日(金)の夜に、元夫はエッチを求めてきた。
私はこの週の火曜日の夜か、水曜の朝から、生理が始まっており、その旨伝えて断ると、
元夫は開口一番 「ウソつけ!」 と少し興奮した様子で言い出した。
私は、???何を根拠にそんことを決め付けるの?という思いで尋ねると、
「月曜日には生理のニオイがしていたので、もう終わりだろ!」 と言う。

私はアバウトな性格で、いつもはキチンと生理の始まっ日など覚えていないが、
今回の生理の開始日には確信がある。
というのは、私は月3回、火曜の夜に専門学校に通っている。
この日も実習で立ちっぱなし、腰がだるくて休憩時間に、後ろの席のクラスメートに、
「腰がだるい〜」 と話し、クラスメートが 「生理?」 と聞き返したので、
「あっ、そっか。そういえば、もうそろそろだ!」 という会話をしていた。

元夫にこの話をしても、「嘘の上塗りはもう結構! 嘘も思い込めば本当になる!」 と言い、
自分とエッチしたくないから、そんな事を言うんだ。と言う。
私は入れていたタンポンを取り出し、元夫に見せたが、「どうせ、さっき入れてきたんだろ!」 と
元夫は一歩も譲らない、しかし、私も今回は確信があるんだから譲れない。

今までも、言った言わないや、日時をめぐって等の、意見の食い違いはよくあったが、
私はハッキリと覚えてないので、いつも断言できない状態だった。
しかし、元夫は、「俺は字もろくに書けないし、この頭で覚えている!こうやって生き抜いてきた!」
と、いつもきっぱり断言してしまうので、
私は、”そうだったかなぁ〜??” と思いながらも、いつも元夫の意見が正当化されてしまうが、
今回のように確信の持てるのは始めてだ。

女性は特に、嫌いになると、顔も見たくない、同じ部屋の空気も吸いたくない、
もちろんエッチだって、触られたくもない!なんて思うことがあるんだけど、
今回、また入籍するのに、エッチが出来るか出来ないかってのも1つの焦点だったんだけど、
私としては長年、同じ人とエッチしてきたわけだし、
入籍する事で気持ちもスムーズに動くかな〜と、出たとこ勝負だった。

次の日、2004年12月18日(土)、顔はムスッと、言葉も乱暴な元夫。そのうえ、
「俺に話はないのかぁ?! 嘘をついてごめんなさい!って言わないとダメだろ!」と怒鳴る。
私はその横暴な言動に、”本質はなにも変っていない。入籍したとたんに、またこうなった” と実感する。
3度目の正直、今度こそ、”もう無理” と離婚を決意。
元夫も、いつもの如く納得し、また興奮気味に大声で、
「明日、家庭裁判所に行ってこいよ!なんなら、俺が行ってこようか?!」 って。

2004年12月20日(月)、朝、普通を通り越して、上機嫌で話かけてくる。
今になって、ハッキリと生理が始まった日を覚えてない、と言い出した。
あんなにハッキリ断言して、おまけに謝罪まで要求しておいて、今更だよ。

思い起こせば、今までそうだった。全部とは言わないが多かった。
元夫が私に言った、 ”嘘も思い込めば本当になる!” って言葉は、
ズバリそのもの元夫のやり方だったんだよね。

この日、私は家庭裁判所に行き、調停の申立書をもらってきた。
夜、元夫が帰ってきて、その事を聞かれ、またムッとしながら、早く出せと言わんばかりに開き直り。

2004年12月21日(火)この日の朝も復縁はもう無理、後は調停にゆだねる事を確認しあう。
夕方、仕事から帰ってきた元夫は、開口一番 「(申立書を)出してきた?」と聞く。
すると娘が、「何を出すの?」 と質問してきた。
元夫は険しい顔で娘に、「お父さんとお母さんはお別れするから!」
娘は一連の揉め事や状況を感じているので、ゲームをしながら顔色変えずに、
「私はどちらと暮らすの?」 と娘。相変わらず怖い顔して、「お父さんに決まってるだろ!」と元夫。

7歳の子供相手に、そんなにポンポン言って、傷ついているのが分らないの?!と私が嗜めて、
専門学校に行くため、家を後にする。

夜帰ってくると、娘には悪い事をした、と反省ていた。そして元夫は私に、
「やり直す余地はないか? もう一度長い目で見てくれないか?」 と言ってきたが、
もう私は気持ちはしっかり固まっていました。
もちろん調停の結果が納得いくようなものでなくても・・・と覚悟もできていた。

すると元夫は、娘の為にも離婚届は出さずに家庭内離婚で一緒にこのまま暮らそうと言い出した。
そして元夫は私に、「人目には家族としてやっていく以上、誰かに後ろ指さされるような恥ずかしい行動はするな」 と言う。 (例えば男性とお茶を飲んだり、歩いたり)
私は、私の行動を規制するようなことをいうなら、離婚届けを出し親権は調停ではっきりさせて欲しいという。

そこで私は前回の離婚・再婚の時のように、元夫に復縁の期待をも持って欲しくないので、
私は「そのうち彼氏もつくる!」と元夫に宣言する。
(夫は一度でも他の男性と肉体関係を持てば、どんな事があっても私とは復縁できないと、11月の離婚から復縁に至るまでの話合いで言っていたで)

私は、「今度はもう復縁は二度とありえないし、待たないで欲しい。」というのが前提ならそれでもかまわないと私も承諾する。事実離婚。家庭内離婚。

前回の離婚届けを出した後の状況と同じ。これがおかしな事だと夫は毎日悩んでいたのに。
それで良いという夫に私も??一貫性のない言動。

この頃、元夫は神経内科に通い、睡眠薬と安定剤を服用するようになる。
その後の裁判ではうつ病の診断書を添えてはいたが、
看護婦の友人に薬の状態を問い合わせると、元夫の飲むお薬自体は非常に軽いもので、
うつ病というより、神経病みのような性格的な物がおおきいのでは?というものだった。

今まで主人の分として食費をもらい、食事は私が作り一緒に食べていたが、もう作らなくなる。
なんだかバカらしくなって、私から言い出した。元夫もすんなり了承。

夫婦円満な時から、私達は日曜は出かけることが多くし、私の母が食事を作ることが多かった。
その後も、人のいい母親は 「娘(孫)のためにも、日曜日は私が作るんだから、娘(孫)と一緒に食べてやって!」 というので、4人で食卓を囲んでいた。

私は同居人として、同じ屋根の下に住むのだから、少しぐらいは世間話があってもいいのでは?
例えば、ニュースを見て、思わず、”ひどい!とか、すごい!”とか感想や意見を述べあったりとか。
しかし元夫は極端な人間で、そういった割り切った事が出来なかった。
「もう、俺はお前がどうしようと、どうなろうと、関係ない!」 と元夫は言う。
もちろんそれで結構だけど、もう少し大人の付き合いは出来ないの?って、
私はその部分の不満が強くなり (どうせなら楽しく生活したいし)、元夫にもよく言っていた。
この時の、元夫は薬を飲んでいたせいか、まだ復縁の道を探していたのか、
大声で怒るような事もなく、大人しくはあったのだが・・・

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